女寅さんって誰?



 

東出雲町明治の三傑の一人、大西清太郎のことです。幕末の文久2年(1862年)揖屋に生まれ、正月の芝居に子役で出演したのをきっかけに芸の道へ進み、大阪・東京で数々の舞台に出演しました。

 その後市川宗家に入門し、市川女寅と名乗りました。晩年六世“市川門之助”を襲名しましたが、女寅の時代が長かったため「女寅はん」の名で親しまれ、おやま女形として9代市川団十郎らとともに活躍しました。

 まちの駅前の揖屋ふれあい広場には銅像があります。

なぜ、まちの駅の名前が「女寅」なの?

 「女寅」は、東出雲町明治の三傑の一人、大西清太郎のこと。
歌舞伎役者として名を上げ、晩年、市川門之助を襲名しましたが、女寅時代が長かったせいか、東出雲町では今も「めとらはん」の名で親しまれています。ちなみに揖屋ふれあい広場に建てられたブロンズ像も、「女寅像」とみんな呼んでいます。

地元の人たちに愛され、今も親しまれている女寅はんのように、地元の皆さんに愛され続けるNPOでありたいとの願いを込めて、「まちの駅女寅」と名づけました。誕生日も同じ6月です。